河口浅間神社だより第23-4 号 平成23年

『諏訪祭』

 9 月1 1 日には諏訪神社の例祭が執り行われます。社は、境内本殿の南東に位置し、大国主命を父神とする建御名方神(だけみなかたのかみ)が祭神として祀られています。諏訪神社は子綬けの神、安産の神として信仰され、多くの参詣を受けています。
 子宝または安産の祈願には、底の抜けた柄杓や薄を奉納することが、古くからの慣わしになっています。現在では、略式に紙で作った柄杓も奉納されます。
 諏訪祭りといえば奉納相撲。夕暮れから子供相撲が始まり、夜には大人の相撲が奉納されます。地元住民の力土による名勝負、応援の声も賑やかに、奉納相撲が行われます。
 中入りには「力結び」としておにぎりが配られます。このおむすびの中には小石が入っているものと入っていないちのがあり、小石が入ったおむすびを食べると子宝に恵まれると言われています。
 子供の健やかなる成長と安産を願って腹帯を巻く風習があります。安産祈願のお参りと腹帯の着帯には成の日が選ばれます。河口浅間神社でも、安産を祈祷した腹帯を授かることができますので、社務所にお問い合わせ下さい。

『隆武隊の碑』
 9 月1 1 日には、隆武隊の祭祀が行われます。河口浅間神社受札所奥の高所に甲斐の勤王、隆武隊の顕彰碑が建立されています。河口地区は富士山信仰における御師の里として形成され、江戸時代中期には140 軒にも及ぶ御師住宅が容在し、ほとんどの村人が何らかのかだちで御師の業務に携わっていました。時は下り、徳川幕府が大政奉還し、新しい明治の時代に移り変わる混乱の時、河口御師の子弟によって隆武隊が結成されました。勤皇の志のちとに集結した、12 歳から20 歳前後の46 名によって構成され、甲斐の要衝である甲府城の警護にあたりました。この功績を讃え、大正6 年、河口浅間神社の境内に隆武隊の碑が建立されました。碑には東征軍育栖川宮織仁親王の侍従、柳原節光副総督の子孫、伯爵柳原義光によって隊史が綴られ、碑の裏には隆武隊46 名の氏名が刻まれています。

『地域の神々を間る合間社』
 かつて、河口地域内の各所にはさまざまな神を祀る社が点在していました。明治9 年10 月に、小規模な社をまとめて和る「合間令」が発令され、河口地区においても点在した小さな社を合わせて祀る「合祀社」が造られました。合祀社は河口浅間神社拝殿の手前、ヒイラ石の北に位置し、幾柱の神々がひとつの社に祀られておりますので、一度に沢山の神々にお参りすることができます。
 9 月11 日には、諏訪祭とともに、合間社においても神事を執り行います。


『富士山世界遺産登録における河口浅間神社の位置づけ』
 富土山の壮麗な姿は、我が園の景観の象徴であり、多くの人の心の寄りどころとなっています。富士山の噴火を鎮めた祭神、浅間神社を祀り、富士山信仰の御師の里として繁栄した河口地区は、その歴史も古く、富士山とのかかわりは深いものがあります。富士山を世界遺産に登録することは、多くの人の願いであり、平成4 年(1992) 頃から始まった活動は、幾多の問題を克服し、平成23 年7 月27 日、山梨県と静岡県は、富士山を世界遺産として登録することの推薦書を国に提出しましだ。文化審議会は9 月1 目、日本政府としてユネスコ世界遺産委員会に推薦することを妥当と結論づけました。これは事実上の推薦内定で、文化庁は2013 年の登録を目指し、関係省庁と調整して9 月末までに暫定版推薦書、来年1 月末までに正式推薦書を委員会に提出することが報じられています。これに伴ない、河口浅間神社は、富主山が登録を目指す文化遺産の富主山信仰を構成する「構成資産」として登録の対象となっています。
 県内外を間わす多くの参拝者が訪れますが、1200 年の歴史を物語る七本杉や参道の杉、格式高い社殿に多くの方が感動されています。河口浅間神社が富士山の構成資産として認められることは私たちにとって誇りであり、今後も神社を大切に守っていきだい気持ちが高まります。

『研修のお知らせ』
山梨県神社庁南都留支部、南都留神社総代会では下記の研修旅行を行います。
(1) 伊勢神宮新穀感謝祭参拝旅行
 日時:平成23 年11 月16 日(水) ~17 日(木) 1 泊2 日
 会費: 29,500 円
 申し込み10 月20 日
 特典:内宮、外宮ともに御玉垣内参拝(特別参拝〉太々神楽の特別奉納を参観
(2) 有名な社寺めぐりと観光の旅(神社庁、総代会が実施する3 年に一度の旅〕
 日時:平成24 年3 月11 日(日) ~14 日(水) 3 泊4 日能登~北陸~京都方面
 研修場所 白山本宮加賀一宮白山比時神社(正式参拝〕
      北陸道総鎮守 気比神宮 その他観光施設等
申し込みは神宮、氏子総代にお問い合わせください。