河口浅間神社だより (第23-5 ) 平成23年

〜新嘗祭の献穀について~
 秋は収穫の季節。自然の恵みを受けて育った作物の収穫に感謝し、勤労を尊ぶ、勤労感謝の日が11 月23日に制定されています。全国の主な神社では、この日に新嘗祭の神事が行われています。新嘗祭では、その秋に収穫した新穀を奉納し、感謝のお祈りをいたしております。
 私たちの郷土の氏神、延喜式内明神大社河口浅間神社においても、古くからこの神事が行われており、各戸から奉納の献穀を願い、健康に勤労できだことおよび作物の収穫を感謝するお祈りをいたしております。
 新嘗祭の神事は、春の例大祭太々神楽祭(おだいだい)、お筒粥、身曽岐祭などと共に古くから行われている河口浅間神社の大切な神事です。
 神社では、毎年、自治会長さん、隣組長さんを通じて、各戸から献穀の奉納を願っております。皆様の勤労の状況や生産の状況などに応じ、献穀の奉納を賜りますようお願い申し上げます。


〜伊勢神宮と神宮大麻〜
 伊勢神宮は三重県伊勢市に鎮座し、悠久の歴史のもと、日本人の心のふるさととして現在に伝えられています。伊勢神宮は日本の総氏神であり、天照大神を祀る皇大神宮(内宮)と衣食住の神様である豊受大神宮(外宮)を中心に125 の宮社からなっています。

神宮大麻(お神札)
 伊勢神宮のお神礼を神宮大麻と言い、大麻とは、古くは「おさぬき」と読みました。これは、祈りが込められるお神札の大切な部分を麻串(ぬさぐし) と呼んだことに由来する、歴史のある言葉です。「天照大神大神宮」の神号に神様の印が押された神宮大麻は、清浄を第一に数々の神事を経て、伊勢神宮で奉製され、新年を迎えるにあたり、氏神さまを通し、河口の各家庭に頒布されています。
 お神札は神さまを仰ぐ「みしるし」として、家庭の神棚におまつりします。三社づくりの神棚の揚合、伊勢神宮の大麻を神棚の中央にまつり、向かつて
右に氏神さまのお神礼、左にその他の崇敏する神社のお神札をまつります。一社つくりの揚合は手前に神宮大麻をまつり、氏神のお神札の順にお札を重ねておまつりします。神棚がない家庭では、目線より高い位置のタンスや本棚を利用し、神をおまつりし、家族の幸せを祈りましょう。一般的に神棚の向きは南向きおよび東向きがよいとされます。

お供え(献饌)
 神棚には米、水、塩などの神撲を供えます。供え方は右の図を参考にして下さい。

〜美露石(ヒイライシ)〜
 神社の拝殿に向かって左の位置に玉垣で囲まれた石造の祠があり、これを美麗石と言います。現在は基壇上に祀られていますが、地面に近い位置に祀られた時代があったのでしょうか、「お宮の前の美麗石を踏めば、草履の鼻緒が切れる」と言い伝えられ、美麗石を尊ばれてきました。
 貞観6 (864) 年、富士山の西の峰が大噴火をおこし、富士北麓は大きな被害を被りました。平安時代の歴史書『三代実録』 11 巻貞観7 年12 月9 日丙辰の条に、
「九日丙辰。勅。甲斐国八代郡立浅間明神祀。列於官社。即置祝抑宣。随時致祭」
とあり、甲斐の国司は、この惨事を朝廷に言上、朝廷は勅命(天皇の命令)により、甲斐の国に浅間明神を祀り、祝 と禰宜を配置し、噴火を鎮めるための祭を執り行ったことが分かります。貞観7 年12 月9 日は噴火の翌年に当たり、溶岩流の被害がなかった河口の地に浅間神社明神を祀る社が建立されました。この時の構造物を示す記事として
「四面石高ー丈八尺許。康三尺。厚ー尺。立石之門。相去ー尺。中有一重高閣。以石構営。彩色美露。」
とあり、石造で彩色が美しく施されていたことが分かります。このことから、現在、河口浅間神社に残る美麗石は、古代祭祀の石閣の一部であったと言われています。
 明治20 年4 月に美麗石の下を掘り、発掘調査が行われました。深さ1 丈1 尺(約3.3メートル)の位置から埋蔵物が発見され、宝物として今でも神社に残されています。